前略
ここで紹介する 『 3.11 メルトダウン 』 (凱風社) は日本 ビジュアル・ジャーナリズム協会の編集になるもので、 11人の写真家の作品からなっています。 A5判ですから写真集としては小型です。 写真は110頁を占め、 全員の座談会 「 3.11 日常から非日常の被災地へ 」 が2段組みで21頁。 それにガバン・マコーマック氏 (オーストラリア国立大学名誉教授) の 特別寄稿 「 地に墜ちた核の 「 安全神話 」 」 が8頁。 これも2段組み。 あとがきは森住さん。 2段組みで3頁の長いもの。 占めて158頁です。 写真は次の3つの領分に分けられています。 鬼哭啾々 大津波の現場から 放射能飛散 核汚染の現場から 全村避難 飯舘村の苦悩に寄り添う 印象的な写真のなかからを3点ばかり挙げておきます。 ① 14、15頁の見開きで。 板戸の上に毛布のようなものをかぶせられた遺体は 足のひざの下が10センチばかり出ています。 若い女性のようにみえます。 仰向けにねかされています。 遺体は3体。 縦に並べられた真ん中がその女性らしい遺体。 路上なのか。 写真の下方に側溝のコンクリートの蓋が写っている。 遺体の上方に瓦礫がつづき、警察官が10数名、 青い作業着を着て、白いヘルメットをかぶって 生存者の捜索にあたっている。 ひとりが瓦礫のなかを指差している。 まわりの警察官たちの目が指された方向に注がれている。 瓦礫の上方遥かに高さ数百メートルもあろう山が青く霞んでいる。 板戸の上に毛布のようなもので覆われ仰向けに寝かされ。 露天の路上で。 津波が運んだ土の上で。 みずからの最後をこんな姿でむかえるなんて。 私の娘を、孫娘を重ね、名前を呼んでみる。 真ん中は娘でその頭の上は娘の二女、足元はその長女。 それぞれの名前を呼んでみる。 「 どうしてこんなところで寝ているの?」 「 寒くはないのか?」 そんなことばも出てこない。 出てくるのは名前と涙だけだ。 ② 40頁。 火葬がまにあわないので土葬にした。 仮埋葬の墓地は急遽造成されたので土は新しい。 土の下に7歳の長男がねむっている。 包装された花と並んで野の花が土の上にねかされている。 花立もない。 しゃがんだ母親の背に5歳ばかりの女の子が しがみついている。 3歳ばかりの男の子を横抱きにして、 その子に顔をそっとあてて泣いている父親。 涙はないが泣いている。 埋葬されている土に落とされた母親の目は 涙も枯れて悲しみそのものになっている。 じっと土をみつめている。 ここにも静けさがある。 静けさだけがある。 声もない慟哭がある。 慟哭だけがある。 いのちは家族のなかではぐくまれる。 家族はいのちによってはぐくまれる。 いのちは絆。 絆のほつれは苦しい。 身が切られる。 胸がふさがる。 ことばにならない。あー、とか、うー、とか、ただうめくだけ。 どうしてお前が、どうしてー君が、と。 でもきっと、新たな絆がいつの日か芽生えてくるにちがいない。 ③ 116、117頁。 夫婦が目を押さえて泣いている。 キャプションに 「 「 ごめんよ、恨まないでよ 」 と トラックに乗せられた牛に謝っていた 」 とある。 牛は乳牛である。 トラックの荷台の柵から牛はじっと見つめている。 その目には悲しみとあきらめが入り混じっている。 うらやむでもない。 それだからこそ夫婦は泣く。 わが家の生活を支えてくれた。 私たちに生きる力とよろこびを恵んでくれた。 お前とともにあることが私たちの生きることそのものであった。 お前はまだお乳をいっぱい出す。 なのにお前を見捨てなければならない。 お前のはった乳首から、手を握ると、 あたたかな真っ白なおっぱいがほとばしり出た。 お前を含めた私たち家族の生活は お前のおっぱいで立てられていた。 家族にはよろこびがあった。 生きるはげみがあった。 お前は家族以上の家族であったのかもしれない。 悲しいとき、あるいは、つらいとき、 お前のからだに抱きついて涙を流したこともある。 そんなときお前は動かずにじっとからだを支えてくれた。 ああ、そんな、そんなお前を・・・。 赦してくれ。 こんな別れをしなければならないなんて、なんと酷いこと。 一枚一枚の写真が語ってきます。 写真は一瞬の切り取りですが、その一瞬の切り取りのなかに 過去が凝縮し、将来が垣間みえる。 だからその一瞬は語りになります。 語りかけてきます。 その語りかけに耳を傾けなければならない。 写真をみるということは対話するということなのでしょう。 スーザン・ソンタグは 『 写真論 』 (晶文社)で、 「 写真はひとつの文法であり、さらに大事なことは、 見ることの倫理であるということだ 」 と書いていますが、 「 見ることの倫理 」 というのは語りであり、物語ることなのでしょう。 見ることは語ることであり、物語ることなのです。 語ること、物語ることによって、私たちは写真とであっているのです。 座談会のなかで、森住卓さんが、 人間を撮れなかったことを振り返り、 「 入り込めなかったのかな 」 とみずからに問うています。 その問いにたいし、國森康弘さんが次のように言っています。 うん、入り込めなかった気がしますね。 もう、かける言葉が見つからない、入り込む会話の 最初の一言が出てこない。こちらもどうしていいかわからない。 それから、被災地に入った当初というものは、 家族を失ったり家財を失うという現実を前にして、 泣き叫ぶというより、むしろ呆然と、 ふらふら歩いている人が多かった。 そういう人になんて声を掛けていいのかわからなかった。 ふらふら歩いている人を遠くから撮ったり、 近づいて斜めから撮ったりしてたんですが、 正面からぶつかっていくことはできなかったですね。 写真家はある意味嘘はつけないのです。 だから正直です。 かつて全日本写真連盟の会員になっていたころ、 撮影会に何度か参加したことがあります。 子どもや、老人を写したり、若者や女性モデルを写したり。 ともかく被写体はいろいろなのです。 そのいろいろにたいして写真家は変幻自在に みずからを変えて応じていく。 子どもには子どもの目線になって向かい合います。 カメラが介在していないかのごとくに 被写体に自己を同体化します。 同体化しながら自己を失っていません。 その変幻自在ぶりに私は感動したものです。 そんな写真家たちでさえも東日本の人たちを 「 遠くから撮ったり、近づいても斜めから撮ったりしてた 」 といいます。 その正直さに私は改めて写真家の素直さ、正直さを思いました。 上の ② に挙げた写真なんかは 被写体との同体化なくしては撮れない写真です。 この場合の同体化は悲しみをひとつにすることです。 悲しみに真から寄り添うことです。 カメラの位置のこの低さは、写真家が若い夫婦の前方3メートル ばかりのところでひざまずいていることを示しています。 望遠レンズで遠くから密かに撮ったものではありません。 おそらくこの夫婦とのあいだに ことばが交わされたにちがいありません。 この写真にはその会話も写っているように思われるのです。 この ② の写真を撮った山本宗補さんの問いに森住卓が応える。 その箇所。 山本 : 原子力発電所という危険なものを地方の過疎地につくる、 沖縄に米軍基地をつくる、そうやって大部分の日本人は 安全な場所にいる。福島と沖縄は、どこか共通するところが あると思うんですけど、そのあたりどう考えますか。 森住 : すべてに共通する根源的な問題は安保なんだよ。 なんでさ、日本でここまでメチャクチャが通るのか。 沖縄の人たちがあれだけ苦しんでいる背景にあるのは、 やっぱり安保だよ。 エネルギー政策も安保なんだ。 ほかのクリーンエネルギーの開発を阻止して、 原発を押しつけてきたんだよ。 その共通性というか犯罪性というか・・・・ アメリカから独立できない日本の歴代政権の犯罪性は ひどいものだ。それを痛感している。 瀬戸内寂聴さんが地震と原発について語っています。 6面にその続きがあって、そこには岩手県九戸郡野田村の 被災地の瓦礫のなかに立つころも姿の瀬戸内さんの写真があります。 京都の 「 寂庵 」 で体調を崩して床に伏していたかのじょは 3月11日、TVをみて、こうしてはおれないと 6月初め被災地に向かったといいます。 瀬戸内さんは今年89歳。 平和を願うこころはひとびとの苦悩に寄り添い、手を取り合うことが できるこころなのだと瀬戸内さんはさとしておられるように思いました。 生きていることは、生かされてあるということであり、 その受動性から生ずる責任に応じていくことなのでしょう。 責任は responsiblity 、 つまり response 、応答することができることです。 応答できれば響きあうのです。 響存、共存、ささえあい。 いのちはそこで花咲くのであり、 平和とはいのちの花咲きの場が現成していることをいうように思われます。 『3.11 メルトダウン』 日本ビジュアル・ジャーナリスト協会 編 凱風社 1800円+税 2011.8.30 N.M by kujokosugi | 2011-08-30 22:09 | 本の紹介など | Trackback
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